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税理士試験を目指して、2

昨日の日中はとても蒸し暑かったですね。
正午前に外出しましたが、熱中症や熱射病になりそうなくらい厳しい日差しでした。首に冷感持続スカーフ マジクールを巻いて、ボトルにはスポーツドリンクたっぷり入れていきましたが、二時間後にはドリンク切れとなり、自販機でビタミンウォーターを購入しました。まるで光化学スモッグでも出ていそうなくらいの陽気で人通りも少なかったです。

昨日から書き始めた税理士試験を目指していたころの話の続きを書きます。
日商簿記1級の試験勉強は、科目ごとにプロフェッショナルな先生が担当していました。商業簿記、工業簿記、原価計算の担当の先生と会計学の担当の先生です。
それぞれの先生が独自の副教材を用意し、朝から晩まで熱心に教えてくれました。

1級は4科目のそれぞれの科目の点数と合計点数のそれぞれに合格ラインがあります。つまり、1科目でもそれに達していない場合、不合格となります。私の場合、工業簿記の問題で躓いてしまいました。それまで勉強したものとは全く異なるタイプの試験問題でした。解答用紙には「T勘定」と呼ばれるものが数個ありまして、そこに取引内容を記載していく形式だったと記憶しています。面喰いました。そして、同時に頭が真っ白になりました。
「ああ、これで10月の試験は終わりだ」と、すぐに解りました。

合格した友人たちは10人にも満たなかったと思います。
税理士2年本科の場合、日商簿記1級の合格が必須条件です。
1級の場合、試験は、6月と10月の年2回のため、合格できなければ、税理士試験にチャレンジできるのが、遅くなっていきます。10月の試験で合格し税理士試験にチャレンジする仲間たちが、まぶしく見えました。

専門学校には、色んな世代の生徒が通っています。
私のように高校卒業後、すぐに専門学校に進む人、浪人したあとこちらの選択をされた人、その中にも商業高校出身の人、全く簿記の学習経験のない人とみなさまざまなのです。

商業高校卒業の人は、一日の長がありますが、日商簿記1級の場合、そのアドバンテージは、あまりなかったように思います。確かに合格された方の半数は、商業学校の卒業者でした。それでも残りの半数は、私と同じ簿記の経験がなかった人だったからです。

私が勉強していた当時、簿記検定試験には、三種類の団体がありました。日本商工会議所のもの(以下、「日商」という)、全国商業学校のもの(以下、「全商」という)、全国経理学校のもの(以下、「全経」という)です。税理士試験の受験資格には、日商簿記の1級合格か全経簿記の上級合格という条件があります。専門学校では、日商簿記が中心に行われていますが、全経簿記も受験することができます。基本的なことは同じだろうと思われるでしょうが、使用する勘定科目だけでも違うものです。

日商簿記1級対策っていうのが、存在します。
それぞれの科目の試験委員対策というやつです。
これまで資格試験をいくつか経験してきましたが、日商簿記にしても税理士試験にしても、大学の試験と同様に、「傾向と対策」みたいなことが実際にあります。特に会計学という科目の場合、試験委員の出版している「財務諸表論」などのタイトルの本は、必ず読んでおかなければなりません。
知らない人には信じられない話かもしれませんが、専門学校には各試験委員に合わせた対策法の特別講義も存在するのです。

つまり、会計学などを勉強する際には、まずベースになるものを身に着けるための参考書を一冊頭に入れ、その上にその年の試験委員の本を読んで、その試験委員の独自の主張されている内容の理解に努める必要があるのです。
ですから、受験回数が増えれば増えるほど、「○○先生対策」ということをしなければならなくなります。それは、日商簿記の会計学も税理士試験の財務諸表論にも共通しています。

ほかの科目にも試験委員対策がありました。
専門学校では、まず一通りベースになることを習得させた後、試験委員対策の授業があります。最初の試験の時には、半年間しか勉強時間がありませんでしたが、2度目の試験の際には、演習競争や電卓のブラインドタッチの習得などの授業など、テクニカルの部分の強化がありました。

電卓にはテンキーの中心にある数字の「5」に小さなポッチがついています。それを指先に覚えさせ、その周囲の配列とそれに合わせ指が思い通りに頭に浮かべた数字のキーを叩くことができるようにするのです。「1937468250」と打ち続け、10回打つと「19374682500」となりますが、それを繰り返したあと、今度は「1234567890」を10回打ち、「12345678900」となるというように、それらをランダムに繰り返します。やがて、指先が記憶していきます。

また、電卓にはメーカーによって、「←」キーの位置や「00」キーの有無などが異なります。私の場合、シャープ製の12ケタ電卓しか適応できません。キャノン製やシチズン製などは、微妙に使いづらいものがあります。
指が記憶するようになると、微妙なタッチミスにも気づくことができるようになります。そんな時、「←」キーに自然に指が伸び、必要回数ブラインドタッチができるようになるのです。

当時、私は春日部の自宅から父の勤めていた四谷、曙橋近くの三栄町という場所にある会社社屋に下宿していました。学校のある神保町や水道橋への通学時間は、いずれも約30分くらい、しかも、電車の乗り換えなしという好条件でした。授業が終わるとオフィスに入り、電話番や補助簿の記入、伝票整理をしていました。今考えますと、大変恵まれた環境にいたと思います。

by sumomojam39 | 2011-06-22 09:54 | 税理士試験