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真田太平記 終盤1

今回で4回目になります、好きな時代劇の紹介です。おそらく次回が最終回になると思います。今回は、「真田太平記」第28話~第37話までの話題です。

本家の真田安房守昌幸・左衛門佐幸村親子は、関ヶ原の敗戦の結果、九度山に蟄居となり、分家の真田伊豆守信幸が上田城の所領となりました。
岳父の本多忠勝は、三年間辛抱されよと言っておりましたが、やがて、徳川家康は息子に将軍職を譲り、5年経っても本家の再興は難しくなってゆくばかりとなります。
そののち、本多忠勝も臨終前に来た信之に、もはや本家の再興は諦めよ、そして今後自分の死後にも昌幸の死後にも勝手に上田を動いてはならぬ、また九度山のことを自ら申し出てはならぬという遺言を残します。信之も岳父の遺言のことを理解しています。

月日は流れ、昌幸危篤の報が届きますが、信之は耐えます。その昌幸の死後、昌幸の妻、そしてその妹等、幸村の家族以外のものが赦免され、信之のもとに返されます。その母も昌幸の死後2年目に上田の城で九度山での生活を思い出しながら亡くなりました。
信之には、息子の江戸への据え置き(人質)が命じられます。

その頃、豊臣秀頼も成長し、家康もついに策を巡らし始めます。
料理人として忍ばせておいた甲賀忍びを使い、加藤清正を毒殺し、浅野幸長や高台院を秀頼から引き離します。そして、方広寺梵鐘の鐘銘の件や浪人の処遇の件で奔走していた仲介役の片桐且元を大坂方に裏切り者と思わせ、ついに淀殿の言うことだけをただひたすらに守ろうとする大野修理が仲介役となります。
家康は、最後通牒的に三つの条件をぶつけます。①淀殿を江戸に人質として出す。②秀頼を江戸に参勤させる、③豊臣家の所領を大坂より移し、大坂城を退去する。これらはどれも絶対に飲まないと考えた上で、出された要件でした。

これにより、大坂冬の陣が勃発します。
戦が始まる前に、家康は、本多上野介正純に命じて、幕府に届けることなく伊豆守信之を二条城に呼び寄せます。家康のそばには義理の弟(妹のお菊の亭主)でもある滝川三九郎と本多佐渡守正信の息子である上野介正純がいます。
幸村は大坂入城後に、すでに大坂方の敗北を察していました。そして草のものなど身内に、負ける戦に連れてきてしまったのかも知れないと告げます。みなハッとしますが、私は幸村には兄の信之以上に先が読めるように感じました。

戦が始まると徳川軍の予想以上に大坂方の結束は強く、真田幸村以外に、後藤又兵衛、木村重成などの兵力が侮りがたいことが解ります。家康の命で真田丸への戦がないまま和睦となりかけた時、草のもののお江は、和睦を画策する大坂方の輩、織田有楽齊、大野修理、そして淀を討つことを提案します。それは、ここまで真田本家のために戦い散って行った先人達や昌幸、幸村に対しての思いから出た決死の覚悟でした。幸村はそんなお江の思いを解りながら、それには応じず、真田丸に近づかない徳川軍の内、血気にはやりそうな本多政重勢をけしかけることを画策します。その夜の幸村の姿は昌幸の如く見え、何度も裏切りを繰り返してきた樋口角兵衛も幸村に従う覚悟を決め、甲賀の慈海の手のものを殺めます。

by sumomojam39 | 2009-10-17 22:53 | テレビネタ