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初めてのコンサート

高校時代、有志バンドで持ち歌にしていたアリス。
この解散コンサートが、初めてのコンサート鑑賞でした。
まだ、アルペジオだのスリーフィンガーなど、ギターの奏法もまともに解らなかった私は、実は松山千春さんや中島みゆきさんなどのフォーク、ニューミュージックにハマっておりました。
しかし、歌唱は難しく、ましてや弾き語るなんてできません。

マイブームでギターは購入しましたが、本番の学園祭までは、間がありません。
知る人ぞ知る文京区白山にある京華高校普通科に進学した私は、高校に入って都内に通うのに慣れるのと同時に学園生活をエンジョイしました。
京華高校には、進学クラスというのがあり、3年間のうちに二度、成績順に振り分けがあります。
結構厳しい競争を強いられますが、僕たちバンドのメンバーの4人のうち、1人を残し、後の3人は進学クラス(京華で言う、国立コース)に残ることができました。
クラス分けがあっても、バンドは一緒にやり続けましたし、結局、3年間のうちに同じ学年の奴らとは、それぞれに紹介し合って、顔見知りになりました。
京華高校には、普通科のほか、商業科や女子高、中学もあり、普通科と中学は男子校、商業科は羨ましいことに共学でした。
その学園祭は、学園全体での催し事であり、男子校が系列の女子と知り合う数少ない機会でした。
そんな不純な動機もあり、有志バンドで頑張った記憶があります。

学園祭は、確か9月くらいに催されたように思います。
僕らは、というより僕は勉強そっちのけで、バンドの活動にのめりこみました。
楽器が上手くなかった僕は、ボーカルを担当させてもらい、ギターの演奏よりも、歌を頑張りました。
それでも、4人ですから、ギターが3人、ドラム、そして最終的に、ピアノ奏者を応援につけました。
ピアノの彼は、国立コースの友人でブラスバンド部員でした。

思い出せば、私は彼に楽典を習い、音楽のテストを助けてもらいました。
教え方が上手かったな。
♯や♭をつけるルールとか、学校の先生より丁寧に教えてくれました。

さて、バンドはアリス専門でした。
なんせ、ベースもおらず、キーボードも腕は確かでしたが、急造でしたし。
ドラムも素人同然。なんとなく自分の楽器の披露って感じでした。
今から考えれば、よく出演できたなって思いますが、あの雰囲気が堪らないんですよね。
当時は、まだカラオケなんてありません。
ステージで使う機材は、同じ有志バンドで参加する先輩たちと一緒に、新宿御苑で借りてきました。
何をしても楽しかった学園生活でした。

そんな楽しい行事も終わって、翌年はもう進学の勉強でパツパツでした。
なんとか国立コースには残れましたが、成績は下降線でした。
悪い友達と体育祭に出たくないから、わざと遅刻したり、これはわざとではなかったのですが、運動靴を忘れたりして、先生に殴られました。
京華高校は、校庭が狭く、近所との関係も影響していたのでしょうか、府中の東芝のグランドを会場にしてました。

アリスの解散コンサートに行ったのは、体育祭の後でした。
1981年11月7日の後楽園球場のコンサート「アリス・ファイナル」です。
クラスの友達と表参道のキョードー東京で、雨の降る中、友達のお姉さんと3人で並び手に入れたチケットを手に、後楽園球場に行ったのを今も覚えています。
席からはあいにく、双眼鏡でやっと見えるくらいのサイズのアリスのメンバーでしたが、これで青春も終わりかっていくらい衝撃がありました。

後楽園球場に行ったのは、あれが最初で最期だったように思います。
その後、後楽園球場は取り壊され、東京ドームが建てられました。
コンサートへは、高校を卒業した後も、専門学校の友達とひな祭りコンサートなどマニアックなものに連れて行ってもらいました。
色んな女性ミュージシャンがご出演されるお得感満載のものです。
今は亡き、松原みきさん、当時旬だった八神純子さん、友達が目当てだった沢田聖子さん、とみたゆうこさん、イルカさん、もっと沢山出ていたと思いますが、思い出せません。

昨日、谷村新司さんを二度観ました。
最初は、プロデューサーでもある奥さんと二人で、徹子の部屋にご出演されている様子を、夜にはSONGSでアリス再結成のライブを。
谷村新司さんは、我々にとってカリスマです。
そのひそひそと話す話し方、そして、エロさ。
ラジオ、てるてるワイド内の青春キャンパスは、中学時代からの楽しみでした。
ながら族だったんです。
小学校の頃から、いつもラジオを聴きながら、勉強してました。

深夜に聴いたオールナイトニッポンやセイヤングの話題を翌日の学校で話すのが、定例で。
何を勉強したかよりも、何を聴いていたかを良く話題にしたものです。
これは、中学の頃からだったように思います。

天才秀才バカを聴いていた人ならおそらくみんな、谷村さんがビニ本の顧問だった話は知っていたと思いますが、その活動を身重な奥さんと二人でしていたとは、今日初めて知りました。
流石は谷村さんだと感心致しました。
そしてそんな話題を取り上げられた黒柳徹子さんにも感服致しました。

by sumomojam39 | 2009-07-09 00:14