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学習塾

子供の頃、ベビーブームの世代の私は、まだお受験はレアでした。
小学校では、生徒数が急激に増えすぎたのが原因で、学校が新設され、転校。
さらに、それでも教室が足りなくなって、校舎に併設されたプレハブで過ごしたこともありました。
中学にあがる際にも人数の関係で、進学時に分校され、その翌年新設校ができて、転校しました。

生徒数が多いのは、合格率に反比例します。
必然的に、中学にあがると、塾通いが始まりました。
それまで、習いごとは、そろばんとエレクトーンだった私は、中学に進学する際に、クラスメートが私立中学に受験したのを、その失敗後に知りました。
無頓着だったので、単純に同じ中学に通えて良かったなくらいに考えていました。

中学にあがり、友達に誘われるまま、同じ団地に住んでいる大学の講師をされていた先生に、出会いました。
厳しく、熱い先生でした。
まず、驚いたのは、初めて神保町に問題集を買いに連れて行ってもらったことでした。
本屋との本当の出会いでした。
そこで購入した問題集の解答冊子を先生に取り上げられ、毎回、宿題を出されました。
宿題は、まだ優しい方で、その場で、友達と一緒に問題集を解く競争をさせられ、しかも、スピードと正答率を競わされるのは、厳しいものです。
先生は、教え方も上手で、その代わり誰か授業を受ける態度が悪い場合、連帯責任で、先生が授業をしてくれなくなってしまいます。

このような、教え方で勉強の仕方を教わった私たちは、本屋さんで参考書の取捨選択も上手になりました。
夏休みも冬休みも春休みもクリスマスも正月もありません。
夏休みなどは、朝八時から夜は休みでない場合と同様、十時過ぎまで、土日以外毎日休みなく、授業でした。

残念ながら、高校の受験時には、公立高校は落ちてしまいましたが、後にも先にも、あの時の経験は、財産です。
その後、高校で代ゼミに通ったりしましたが、大人数の授業は、なんか気が散るものです。
しまいには録音装置を持ち込んで、それを良いことに、寝てしまったこともありました。
そんなことをしていれば、当然、大学受験には失敗します。

その後、税理士を目指していた私は、簿記の勉強を始めます。
初めて、簿記の勉強をした時、思いました。
高校のように、沢山の科目を勉強する必要がないことの、なんと楽なことか。
簿記は、二ヶ月で、3級と2級に合格できました。
1級は、商業簿記のほかに会計学や工業簿記、原価計算などが加わってきますが、それでも、大学受験の勉強よりも、負担がありません。
ただし、目標は、このあとの税理士試験でしたから、その受験資格である日商簿記1級は、取らなければならない、ハードルでした。

それにも、二度目の受験で合格し、いよいよ税理士試験の勉強になりました。
1級の勉強のときに、会計学の先生が、税理士試験の科目の一つ、財務諸表論の合格の大変さを話していましたが、実際に、その勉強すべき範囲の広さは、比較できないほどでした。
部屋のあちこちに、会計原則や理論のための意義などをカレンダーの裏に書いて貼り付け、日夜、目に入れるように勉強しました。

あれほど勉強に集中した経験は、余りありません。
結果は、財務諸表論の一発合格。
しかし、同時に勉強した簿記論は翌年の合格だったのにもかかわらず、税法の勉強の難易度は、それのはるか上でした。

最近のCMに塾の宣伝がかなり放映されています。
これを観ていて思い出しました。
高校時代に、代ゼミという話に戻ります。
代ゼミにも、名物講師がいました。
その講師のゼミは、人気コンサートのチケット並みにとれません。
現役生の弱みだと思ってました。
浪人生ならば、毎日が自由なスケジュールです。
ゼミを取るために、徹夜をすることもできるのです。

当時の記憶ですと、古文のゼミ。
野村の古典とか土屋の古文とか、言っていたように思います。
土屋先生は確か東洋大学の先生で、その授業は本当にコンサートのようでした。
テレビでしか観たことはありませんが、その集中力と熱意で、授業に集中させるのです。
そのようになると、先生の一言一句を漏らさずに聴こうと思わせ、寝るなんてもってのほかになります。
最近のCMを観ていて、懐かしく思い出しました。

by sumomojam39 | 2009-07-01 02:07