医師のお考えと患者の思う事

病気になったとき、どうその症状を伝えるのかは意外に難しいものです。
先日来原因不明の体の痛みを覚え、その原因と治療について相談するために何度か通院してきました。
乾癬性関節炎科の先生から、検査結果の説明を受けた際に、諦めようとしました。
それは加齢によるものや体重が原因による関節痛なのかとも思われたからです。
しかし、不思議なのは突然症状が現れたことでした。
先生には私の症状の説明が巧く伝わらない所為かも知れないのでこれ以上は無理ですねとお話ししました。

すると、先生から神経内科の通院をしてみないかと言われました。
躊躇する私に乾癬性関節炎の科の先生は一度相談することをお勧めしますと説得されました。

丁度その頃、乾癬皮膚科の先生に生物学的製剤の治療を推奨され、そのための検査を受けることになりました。

同じ病院内で二つの科に通院している理由は「感染性関節炎」ではないと言われた時点で別のものになったと私は考えておりました。
そのため、神経内科の検査は基本的に痛みの原因分析のためのものと考えていたのです。

しかし、そうした私の考えと医師のお考えには乖離があったようです。

頸椎や頭部のMRI検査がいつの間にか、生物学的製剤の使用確認のためのものになっていたのです。

7月12日のMRI検査以降、1か月生物学的製剤の使用を待ったのは、予約の取り難い神経内科の所為です。
それでも私はその診断によって原因不明の痛みから救われるのではないかと一縷の望みを抱いてました。

7月22日の乾癬皮膚科の通院時に12日のMRI検査の結果、生物学的製剤の使用ができると教えていただきました。
そこでショックだったのは、脳梗塞になっていたようですが、お気づきでしたかという衝撃的な事実でした。

ただ言われてみると、自分には心当たりのことがありました。
一つは意志力です。
ある時から自分の行動の持続力が衰えていると自覚してました。
やらなきゃいけないと思っていることに中々着手できない。
やらなきゃと思う事が持続できないのです。
それは記憶に関しても影響しました。

もう一つは肉体的なことです。
税理士試験への再挑戦を考えなかったことはありません。
しかし、ある時点で断念しました。
握力も衰え、字を書くことが苦手になりました。
手への障害はキーボードのタッチにも影響を与えてます。

それらは全て自分の老化の所為だと考えていました。
しかし、突然発症してきたという不思議な現象を疑ってもいました。

脳梗塞って訊くと呂律が不自由になるとか不随になるとか、すごく怖いものだと思っていました。
まさか自分の身にとも思っていたのです。
けれど血圧は高く、なっていても不思議ではなかったのです。

さて、話を戻します。
8月8日に神経内科の通院があり、自分のMRI検査の写真を見ながら説明を受けました。
たしかに脳梗塞のあとが二か所白く出ていました。
いつ頃発症していたのかは不明だという事でした。
先生に血圧が高いと言われた時期は?と問われ、おそらく10年ほど前にはと答えますと、それ以降にと言う事でした。

気づかぬうちに病になっていて、気づかぬまま過ごし続けていた。
思い当たったのは一つだけ。
もう10年位前になるのか定かではない記憶なのだけど、ある朝の通勤時に物凄く具合が悪くなって途中で引き返したことがありました。
その時はつり革をつかむ手が本当に必死で、脂汗が信じられないくらい出たことだけ覚えてました。
そこからどう帰ったのかとかは一切覚えてません。
でも発症したとすればその時じゃないかとだけは確信があります。
怖いことですが、その時に亡くなっていても不思議ではないとさえ思えるのです。

今から振り返ると、その時に亡くならずに済んだのは当時寝たきり生活を送っていた母にショックを与えず良かったのかも知れません。

さて、神経内科の先生に一つ尋ねました。
私の今悩んでいる痛みの原因は突き止められませんかと。
先生の答えは「先ず、生物学的製剤の使用をしてみることです。その結果、改善される症状を経たのち、ペインクリニックに相談することです。」と。

先生の言われることはもっともですが、自分がこの科の診療を受けた時の意思とは無関係だったんだなと感じました。
しかし、確かに今は乾癬治療が最重要課題です。
QOLを考えれば、先ず治療すべきことは乾癬なのです。
お金はかかりますが。

そして、昨日、8月12日、その治療に行きました。
生物学的製剤ヒュミラ治療の始まりです。
事前に血液検査をします。
そして漸く診療室に呼ばれると、別の先生に説明していただけるという事でした。

一度退出して再度別室に呼ばれました。
机の上に並べられたヒュミラの一式、保冷材の入った袋を含め、注射セット一式を一つ一つ説明を受けながら受け取りました。
注射を打つまでの流れを説明していただき、実践演習もしました。
それをまた一人で復習させたのち、初めての本番になります。
道具を並べ、カートリッジにセットをし、患部に消毒をすると、注射器の空気を抜き、患部を抑え針を刺し注射します。
その後、カートリッジから注射器を外し、専用の針入れに捨て、患部を再度消毒します。
多少、チクッとした痛みはありますが、我慢できないほどではありません。
今回は右脇腹に二本打ちました。
注射は、二の腕、腹、大腿部のうち、発疹のない場所、しかも脂肪の多い場所に打つのだそうです。

接種したのが午後2時過ぎ、それから間もなく不思議に歩行時の痛みが和らいできました。
駅の階段の上り下りも意識せずに前のようにできるようになって来たのは早くも効果が表れてきたのかも知れません。
疲労感は多少ありましたが、気にするほどのことではありません。

自室でネット検索し、ヒュミラのサイトをチェックし登録しました。
そこには次の注射の日程を登録するところがありました。
同時に何処に接種したかのデーターベースもあるようです。
あとは道具の中に「体調管理ノート」と言うものがありました。
そこに記入できる項目を記載し、シャワーも済ませ、早めに就寝しました。

起床後、変わったのはやはりカラダの痛みがかなり無くなっていることでした。
これがないだけでこんなに楽だったのかと久しぶりに感じました。
最近では徐々に手の平の痛みも感じてきていたのですが、それも今はありません。
乾癬性関節炎ではないと診断されたはずですが、関節痛がないのは助かります。

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# by sumomojam39 | 2016-08-13 13:08 | 病関連

仕事解雇され早7年

今から思えば肩たたきされていたのかも知れない。
あれはもう8年も前のこと、経理課長だった私が、突然、新設する内部監査室の室長に異動を命じられた。
どうして二人しかいない経理の私が異動なのか、後任はどうするんだ?そんな思いはあった。
それよりも前に経理が属する管理部の部長としてNOVAの人が就任した。
経理処理の考え方がそこから180度変えられていった。

経理と言う部署は社内では余り好かれない。
その割に経費精算処理のことだとか、仮払いのことだとか無理は言われる。
営業からは利益を生まない部署の一つと思われている。
営業端の社長がそれを誰にも増して口にする。

通常通り期限内に仕事を処理して当たり前。
ルーチンの仕事だから翌年の達成目標だとかを設定する職能給制度でアピールすることも難しい。
作業を早めることは他の部署への資料提出期限を早めるしか方法がない。
それをすることでまた嫌われる。
利益が上げられない部署と陰口を叩かれ、仕事のための資料収集に下手に出なければ経理の仕事が遅れてしまう。
逆に経理の仕事を遅らすことは許されない。
マストなのだ。
例えば決算、例えば会議資料、これらは全て遅らせられない業務なのです。

このジレンマを抱えつつ、日夜経理は作業している。
そして、そんな中、異動を告げられる。
その直前に表彰された。
表彰されるのは別に嫌なことではないし嬉しいのだが、その席で来期からは新設する内部監査室室長にと紹介される。
変な感覚だった。

内部監査室なんて何をしたら良いのか解らないからである。
すると、内部監査室の仕事を知っているというグループ会社の先生からレクチャーを受けるように言われる。
レクチャーも受けたし、自分でもそのための勉強を始めた。
入門書を数冊求め、DVDなども購入した。
全て自腹である。

翌期になって別室に移り、終日一人でそれらを読み続ける日々が続いた。
昼になれば、ランチを取りに部屋を出て、定時にタイムレコーダーに差し込んで帰る日々が続く。
結局、内部監査室の仕事は、それぞれの部署の健全具合をチェックする部署である。
悪さ加減を確認して指摘する部署にただ一人、権限を与えられたようで、これは肩たたきなのでは?
頭を過った。

これが8年前の出来事。
今考えると私は今で言う「ブラック企業」に勤めていたのかも知れない。

実は私以外にいた管理部の中の総務も人事もみな徐々に異動させられていた。
私が居た会社はコールセンター事業をしていたので、そちらの部署に異動させられた人が主だった。

それから、約一か月が経過したのち、ある日元の部署・経理に再び呼ばれた。
過去の処理内容の説明を求められたのだ。
私の部下が困っていれば、それを解決に行かなきゃと思うのは人の情である。
それからさらに一か月後、終に直接解雇を言い渡される。

おそらく後から考えれば、私は試されていたのだ。
個室でねを上げて辞めるのではと。
しかし、私はしぶとく辞めるとは言わなかった。
それで、会社の方が痺れを切らしてこういう処分になったのだ。

そういう思いをして辞めさせられた私は暫く会社勤めに対して拒絶反応を示していた。
そう、最初はそうだったのだ。
その会社で過労の中、毎日残業仕事で終電の日々が続いたために、帰途の途中で転倒し前歯を砕く怪我もした。
母の面会に通う日々の中、期限内に仕事を終わらせる努力もしてきた。
自身の乾癬も悪化した。

母が亡くなった翌年に表彰後、解雇されるとは思いもしなかった私はここで心が壊れたのかも知れない。

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# by sumomojam39 | 2016-08-05 03:30 | 世間話

新たな治療方針の決定まで

2月の通院では今後の治療方針の相談を先ずしました。
痛みの原因を確認しつつ、現状の乾癬に関する治療を生物学的製剤も視野に入れることなどを。
実は乾癬治療の選択肢が増えていたのです。
飲薬にも種類があったり、別の手段として生物学的製剤と言う方法です。

尋常性乾癬は免疫異常で引き起こされる病です。
免疫が異常に反応してしまうことから、皮膚の新陳代謝が早くなるのです。
通常は下にある皮膚ができてから上の皮膚が剥けるところを、未だ下の皮膚ができる前に上の皮膚が剥け落ちてしまうのです。
だから刺激を与えると剥けやすくなっていますし、下の出来かけの皮膚は赤いのです。

皮膚の新陳代謝が早いと痒みもあります。
熱も発しています。

2月の東大附属病院の受診は乾癬皮膚科と乾癬性関節炎科とになりました。
乾癬皮膚科の方では生物学的製剤が使用できる健康状態かどうかを確認するための検査をするための相談をしました。

飲薬は腎臓・肝臓などの検査を定期的に伴います。
前回の血液検査で現状の腎臓が飲み薬に適さないことが解りました。

負担額の大きい治療法の生物学的製剤について、父に相談したところ、医療費の負担を援助してくれるとのことでした。

先生の話では、尋常性乾癬の患者さんの免疫異常は色々な症状に繋がりかねないということでした。
1)関節症状
2)メタボリック症候群
3)ブドウ膜炎
4)肝疾患
5)抑うつ
6)炎症性腸疾患
7)心血管疾患
など、これらは全て皮膚症状と同様、TNFαという蛋白質が関係しているらしいのです。
TNFαは免疫や炎症に関係するサイトカインの一種で、生態を抑制する上で大切な働きをしているそうですが、過剰に放出されると、サイトカインのバランスが崩れて病気を起こしてしまうのだそうです。

これまでの塗り薬で中々癒えないのは、手の届かない背中、余り薬を塗れない額、角質化してしまっている膝や踵、そして頭皮です。
夏場に薄着になると腕や足などの紅斑も気になります。
部屋の皮膚片の掃除の為、掃除機のごみパックは自室だけの使用でも1週間で一杯になります。
部屋の塵や埃の原因にもなっています。

生物学的製剤の治療対象の説明を見ますと、このように書かれています。
今までの治療で効果が得られなかった方で、皮疹が全身の10%以上にある方、難治性皮疹で悩んでいる方、関節痛や腫れなどの関節症状のある方が対象になりますと。

私じゃないか!と思いました。

ただしこの治療法が選択できない人もいるそうで、その検査をすることになりました。

乾癬性関節炎の先生に現状の症状を話しすることになった検査は関節エコー検査です。
手足の指や膝の周りなどをエコーで確認します。
所要時間は約20分くらいです。

3月にその検査結果の説明を受けました。
結論から言いますと、私の症状は若干乾癬性関節炎の疑いがありました。
続いて脊椎と腰椎のMRI検査を受けることになりました。
これは予約の都合で4月になりました。

簡単なアンケートを書いて、検査は耳栓をし、時間は約30分くらいでした。

5月に検査結果を聴きに行きました。
すると、疑われていた乾癬性関節炎ではないことが判明しました。
また、私の腰椎は通常の人より多い6本と判明しました。
腰痛になる人が多いとのことでしたが、私は今のところそういう傾向はありません。

続いて、その先生のお薦めで神経内科を受診することにしました。
神経内科は母の病の際にかかったことがありました。
受診は6月になりました。

平衡感覚のテストは母の時と同様にされました。
こちらでは頭部と頸部のMRI検査を受けることになりました。
検査は7月です。

また、6月の乾癬皮膚科の方では、血液、尿、心電図、胸部X線検査などを受けました。
さらに、6月の別の日に、ツベルクリン、CT検査を受けることになりました。

生物学的製剤を使用すると、免疫力を損なうので、余病があったら受けられないのです。
癌、結核、脱髄疾患などがないことが条件なのです。

7月に乾癬皮膚科の方の検査結果の報告を訊いてきました。
検査結果では、以前に脳梗塞になっていたことが解りました。
先生の話では、これも免疫以上で起きたかもしれないので、この治療を早く始めるべきだということでした。
検査結果としては生物学的製剤を受けることが可能であると結論が出ました。

あとは8月に神経内科を受診し、その週の週末に生物学的製剤の一つ、ヒュミラという薬を注射する方法を始めることになりました。
この注射投与は2週間ごとになります。
高額療養費制度を市役所に申し込んできました。
これを先に申し込むことで、月額上限までが自己負担で、それ以上の負担をせずに済みます。
毎年7月末までの期間なので、その更新手続きをする必要があります。

中々手続きや検査が長いでしょう。

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# by sumomojam39 | 2016-08-02 22:54 | 病関連

不治の病の衝撃

春夏秋冬、何度超えてきたか忘れてしまった頃、加齢の所為か、カラダに痛みを覚えたのは昨年の秋のことでした。
すでに五十路を過ぎたカラダ。年齢的な原因もあるかも知れないと思ってました。
症状は、時折、捻挫をしたかのような足首の激痛、膝の猛烈な痛み、全ては不定期にそして突然痛みが走るのです。
最初は痛風とかじゃないよなとか、リウマチってどんなんだろう?とか、不思議なのは突然痛みが嘘のように失せることでした。
さらに平衡感覚も可笑しくなってしまい、自宅の階段はもううしろ向きでないと降りられなくなりました。
それまで公園にポタリングしてきていたのですが、その公園への道のりに不安を覚えました。

なんか可笑しい。何だろう?
そう自覚してからネットでも検索したりしました。
もしかして感染性関節炎とかに病が進行してしまったのではないか?
とても不安でした。

すでに8月の通院は過ぎていたので、11月の通院時に相談することにしたのです。
先生に原因不明の激痛の話をしてみました。
担当医は乾癬皮膚科の先生でしたので、検査してみましょうと言われました。
その日は血液検査だけをして2月の予約を入れることにしました。
感染性関節炎の外来の予約です。

気持ちは半信半疑です。
原因が知りたい気持ちと、解っても治せないとしたらという不安感とです。

こういう考え方をするのには理由があります。
今から8年前に進行性核状性麻痺と言う病で母を送っています。

母は原因不明の眩暈とか平衡感覚の麻痺を伴い、2005年の5月初旬の検査入院で約半年かけて病が判明しました。
検査入院までにMRI検査だけで3回、セカンドオピニオンの病院でも受診しました。
結局、東大付属病院の神経内科で受診後、ゴールデンウィーク後に検査入院することになりました。

母の病の告知に立ち会った私は病名をきき、それがどういう病なのか知ったとき、愕然としました。
母は嗚咽しました。
知らなくって良いこともあるかもと思ったのは告知前の時の心境でした。
しかし、結果的には知らなくっちゃいけないことなんだと後から思ったのです。
特に本人は。

ある意味、尋常性乾癬だって睡眠時無呼吸症候群だって、一生付き合わなければならない病です。
でも、母のそれと大きく違うのは、進行性核状性麻痺の症状の進行です。
寝たきりになってしまう事や会話、食事などもできなくなるということです。

二人で歩く訓練もし続けてました。
でも半年もたたないうちに歩行困難になってしまいました。
会話は音の出るキーボードも試しましたが、イントネーションがダメなこと、父親が耳が遠いことで使用を断念しました。

会話は相手を思いやると伝わるものだということをこの時初めて知りました。

検査で病気を疑わしいと確認することはできても、その病の治療法がないという言葉がこれほど残酷なことだということを生まれて初めて知りました。自分の親のことでさえ、こういう気持ちになるわけですから、ましてや自分自身のことだったらという心境がたまに襲ってくるのです。

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# by sumomojam39 | 2016-08-02 01:05 | 病関連

新たな治療法を試みる

尋常性乾癬は意外にしつこい病です。
痒みが常に襲ってきますし、かけば皮膚片が周りに落ち、皮膚はすぐに赤く剥けてしまいます。
夏はできるだけ日焼けするようにしたこともありました。
しかし、日焼けし過ぎて皮膚を剥いてしまったら、逆効果になります。
冬は乾燥して余計に痒さが増します。
冬は保湿剤を薬と共に塗るようにしています。

月日が過ぎるごとに、皮膚の状態は徐々に悪化をたどりました。
3月に一回の通院時の医師との会話は飲み薬もありますが、肝臓や腎臓に影響を及ぼすので、通院機会が毎月になるという事、そしてそれらの臓器の確認のため、採血検査も定期的に実行することなどが説明されました。
通院頻度が増えたり、皮膚のために内臓疾患を伴う事には抵抗感がありました。
そうなると、塗り薬のままで良いかということになり、あとはステロイド剤の強さの調整になります。

ある日の通院時のこと、別の治療法の打診がありました。
それは皮膚に紫外線を照射するナローバンドという方法でした。
ただし、これには入院が条件でした。
照射するのは一日一回、皮膚が赤くなってしまったら、照射を中止します。
日中の一時外出は許されます。

勤務先に相談しこの治療法を試してみることにしました。
この時も3週間ほど入院しました。
その間、一度だけ外出し勤務先で作業をし、病院に戻ることもしてみました。

皮膚の状態はつるっとして少しの間は良好状態を保つことができました。
しかし、塗り薬を怠ると直ぐに状態は戻ってしまいます。
この治療法は、少しの間平穏な心地を体験できましたが、その効果が長続きしないことも確認できました。

幸い、ここまでの三度の入院時には加入していた生命保険の特約により入院日額の受給を受けたりすることができました。

こののち、加入していたスポーツクラブのタンニング(日焼け)マシーンを使うことも何度か試みました。
しかし、あいにくスポーツクラブは倒産してしまい、無くなってしまいました。

頭に塗るローションは、折角洗髪しても髪がべとつくような気がして余り塗らなくなってしまいました。
そして徐々に薬の在庫が増えるようになっていきました。
今では3年分くらいの在庫がたまっています。

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# by sumomojam39 | 2016-07-31 18:19 | 病関連