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あれから丸6年

今から丸6年前、私は父や弟と共に母のベッドの脇に居ました。
そこは蓮田市に在る東埼玉病院の病室。
ナースステーションのすぐ傍の二人部屋。
しかし部屋の患者は母一人。

母の事は以前にも書きましたが、特定疾患と呼ばれる不治の病「進行性核上性麻痺」でした。
もう寝たきりになっていて、会話も出来ず、嚥下障害のため、胃瘻手術を施すための入院でした。
体重は38㎏、もう限界と思われ、最初はしないつもりでいた手術を父が説得して受けることにしました。

朝昼晩、四六時中の介護の中、父は良く頑張ってくれました。
入浴の介助こそ手伝いましたが、歯磨き、トイレなど、根気の要る介助は父が中心に行っていました。

胃瘻用のミールを通販で購入し、吸引機器も揃え自宅介護の準備も整え、退院の日を待っていました。
しかし、手術後、母の身体は微熱が続き下がりませんでした。
後から思えば、その微熱が続いていたのは入院する前からだったのかもとも思われました。
しかし、その微熱が続いていたのが母の体力そのものだったようです。

入院は2月24日、26日に胃瘻の手術が行われました。
胃瘻の手術をした後、その介助方法のレクチャーを受けた父が母に付き添いました。
私は都内の会社勤めを4時半で早退させていただき、毎日見舞いに行きました。
東埼玉病院へは蓮田駅からバスが出ていました。
面会時間は午後8時まででしたので、約1時間と一寸の見舞でした。

3月の11日が母の誕生日でしたので、その日ぐらいには退院できるかと思っていたのです。
しかし、その日を過ぎても母の熱は下がりませんでした。
そしてその約一週間後の19日、父が担当医の先生から説明文をいただきました。

現在の発熱症状は、唾液が気管に流れることによる肺炎と思われます。
気管切開(挿管)することで肺の方に唾液が流れない様にし、点滴で抗菌剤を送って熱を下げる様な治療を同時に行う事で改善することもある。
しかし、挿管の効果は不明で、逆効果の事も有ります。

ただし、抗菌剤の効果がなくなると肺炎が酷くなり死に至ることになる。
気管切開(挿管)しますとそれは最後までそのままになるとのこと。
つまり退院はない。


この説明文で判断できたのは母の寿命がもう日にち単位になったという事でした。
母がこの病と判明してから死についてはずっと覚悟をしてきたつもりでした。
しかし、実際に先生の説明文でそれを知らされると、愕然としました。
手を握るとかすかに握り返してくれたり、笑みを見せてくれている母。
その余命がもう僅かだという現実を受け止めきれない自分が居たのです。

私は父と相談し、母の実家の岩手の親戚に知らせることにしました。
気管切開はせずに、人工呼吸器はマスクに寄る方法にしました。

春分の日に母の弟や千葉に住んでいる妹が見舞に訪れてくれました。
おそらくその見舞が母の生前の最期のものになるのです。

その親戚たちを病院の玄関まで見送った父が病室に戻ると母は泡を吹いていたそうです。
それは酸素ボンベに寄る予期された副作用でした。
酸素ボンベを使うと自発呼吸をサボるようになるのだそうです。
初めから酸素濃度をあげてしまうとその副作用も早く出るとのことです。
呼吸をサボるとカラダに二酸化炭素が充満してしまい内臓機能が損なわれてしまうのだそうです。

泡を吹いたという連絡を受けた私は本当に慌てました。
いつもは自転車で向かっていた通院を急遽タクシーを使って行いました。
私が駆けつけたとき、すでに母の病状は落ちついていました。

本当の覚悟はこの時にしたのかも知れません。

それから新たな段階に至るのに約一週間目の3月26日。
担当医の説明文が提示されました。

本日より意識レベルが下がっている。
AM9時ごろ、SpO2値(血液中の酸素飽和度)が60%まで下がっていた。
首の向きを呼吸しやすい様に調整し90%まで回復したけれど呼吸運動が弱くなっている。

呼吸状態がこのまま悪化していくと体が酸性化します。
全身の臓器障害をきたし、呼吸停止、心停止、腎不全(無尿)を起こし、死亡する可能性が高い。
突然の急変も有りうる。

ここ2・3日が山であると伝えられました。
そんな思いで迎えた27日の夜でした。
母の手を握り体温を感じながら一夜を明かしました。
時折、母の手には力が入り私の手を握り返してきていたように思います。

弟と父と交代で仮眠をとり母の事を見守りました。
明け方近く何となくホッとする時間が有りました。
弟が一旦着替えを持ってくるかと私たちに話した数分後、母の容態が急変しました。
それは痰の吸引でマスクの向きを変えた直後に起こりました。

病室に非常を知らせるブザーが鳴り響く中、私は看護婦さんを呼びに病室を出ました。
丁度、夜勤のナースさんと朝のナースさんの入れ替わり時間だったと思います。
隣のナースステーションは空。
先生とナースさんが駆けつけたとき、母はすでに心停止状態でした。

母の名前を呼び続け泣いていた父をそこに残し、弟と私が先生と面談しました。
検体の話がされましたが、お断りしました。
2008年3月28日午前6時55分、母が亡くなりました。
そのあと、看護婦さんがカラダを拭き、綺麗に化粧をして、霊安室に運んでくれました。
母の棺を葬儀屋さんが乗せ弟が助手席に乗り、私は父の運転する車に乗り、二台で自宅に戻りました。
病院の桜並木が満開だったのを今でも覚えています。
明日は母の七回忌です。
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by sumomojam39 | 2014-03-27 23:20

ダメなものを自覚した秋

10月に入って、もう今年も終わりに近づいたなと言う感じになっている。
政治は常に与党と野党の勢力争いばかりで、テレビも改編時期のため、特番ばかり。カレンダーはすでに調達済みで、次は年賀状作成用のカラープリンターの調達をしている。手帳も来週中には納品されるようです。

先日、ポタリング先で、半年以上怪我に苦しんでいたネコの訃報を訊き、気持ちが少し沈んでいたところ、その地に新たな捨てネコを見てしまった。
しかも、まだ生後3か月くらい、オスとメスがそれぞれ一匹ずつ捨てられていた。
9月の後半の連休前の時期だったらしく、ネコは人懐っこく、私の前にも姿を現した。飼ってやりたい衝動に苛まられ、しかも、気温は急激に秋に変貌していた。

小学生の子供たちが、自分の家では飼えないので、基地に連れて行くとか話していたが、ネコは彼らを嫌い、逃げて行った。彼らが諦め、帰って行ったところ、ちゃっかり姿を現したネコは私に纏わりついてきた。
ついにトリガーが外れ、私はネコを抱き、自転車で連れて帰ってしまった。
父と二人で住む我が家は、公園からおよそ5キロ、ネコは私の方に抱きつき、ニャーニャー鳴いていた。連れて行ったのは、考えた挙句、メスの方にした。

父はネコを嫌いではなく、受け入れてくれたが、世話は私に任された。
アマゾンの箱にバスマットを敷き、そこに首と肩を温める肩掛けを入れ、ネコの住まいとした。ネコは、外で心細かったらしく、その箱の中で寛いでいた。
家にはネコにあげられるようなものがなく、エサは食パンをちぎったもの、そして、ミルクを与えてみた。ミルクは口にしたが、食パンへの反応は薄かった。

父は翌朝、ネコ用のトイレ、爪とぎ段ボール、ネコ砂、エサを用意してくれた。ネコは玄関に置かれた箱の中で、約1日はおとなしくしていたけれど、やがて行動的になってきた。人が歩く場所をついて歩いたりすると、トイレのことが心配で、とても気が気ではなかった。
エサを食べると、さらに不安は増し、注意はしたが二階への階段も何度も上がってきた。最近のネコ砂は無臭で少し安心していたが、それでも、大の方の不安は、常に付きまとっていた。世話をすることへの不安からネコの里親探し登録もした。

そして、恐れていたことが起きてしまった。
部屋に勝手に入った挙句、仏壇前の座布団に座ったのだ。
この態勢はヤバい。と、とっさに察知した私は、ネコを抱きかかえ、廊下に飛び出した。ネコは、廊下を出た瞬間に大を始めた。
一本、二本、・・・そしてゆるいもの。
あっけらかんとしたネコを叱る間もなく、トイレットペーパーを握りしめ、ネコのそそうの後片付けをした。強烈な悪臭・・・。
おそらくゆるいものはミルクの所為だろうと思われた。

完全にキレた私は、ネコを叱りつけた。移動は禁止。
しかし、ネコは一人になるとさびしくなるらしく、いたずらは何回も続いた。

父は、食べ足りないのじゃないか、と言ったけれど、ネコは自分に興味をそそりたいだけで、食欲はそれほどなかった。その証拠に、見ていると平らげて見せたが、その場を離れると、必ず食べ残しをした。
約十日、飼ってみたが、毎晩、一人になると、アクアリウムの水槽が乗っている下駄箱の上に乗り、そこらじゅうのものをひっくり返し、プレコ用のエサの入った袋へのいたずらを繰り返した。終いにはアマゾンの段ボールに入ることなく、玄関の好きな場所で過ごすようになってきた。
これ以上、しつけ用もなく、里親からの連絡も一向にない。
さらに、部屋中に籠る異臭にナーバスになってきた。
可愛いと思っていたネコへの思いも、徐々に薄れ、繰り返されるいたずらに、腹が立ってきた。

世話は嫌と思ったことはないけれど、ネコにとって、部屋で飼うことへの限界を感じてきた。私も父も構ってやることには限界がある。当然、ネコはストレスを感じるだろう。気持ちは急激に冷め、野良の子のさばけ具合が心地よく感じてきた。依頼心が強すぎるのと臭いは、私には耐えられなかったのだ。

父にネコが夜いたずらを繰り返していること、私では面倒見きれないこと、そして悪臭に耐えられないことを正直に話した。
エサ入れやトイレの処理を毎日やることはしてあげられても、ネコの依頼心を満たす包容力は、私にはなかった。そして、このままではネコに対しての殺意さえ抱きかねない心境にまで追い詰められていた。

今朝、晴れ上がった外を見て、ついに決心した。ネコを離すことを。
ネコを外に連れ出したが、ネコは離れようとしない。
可哀想だけれど、ホースでシャワー状にした水をかけ、ネコを追い立ててみた。しかし、ネコはまだついてきた。ネコを脅し、離れさせ、部屋の中にあったものを全て洗い、ネコ砂などを処分した。
私は今回学んだ。

私にはネコは飼えない。少なくとも、私は依頼心の強すぎるものと臭いがきつすぎるものには、自分が耐えられないということを。
寂しさよりも、安堵した気持ちがあることが、悲しいけれど本音である。
ネコにとっても私に飼われるのは可哀想なことなんだと感じた。
私は公園のネコとのドライな関係が一番なのだと実感した十日間になった。
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by sumomojam39 | 2011-10-06 22:03

ツイッターその後

速度の遅い台風被害が尽きない日本列島。
今回は、ツイッターに関する近況と私見を書きます。

ツイッターの用途

根本的な話ですが、ツイッターは情報入手手段ですよね。
そして、情報共有手段にもなります。
私の場合、地域関連の情報共有手段としたり、好きな内容の情報共有手段にもしています。まあ、大抵の方も同じだと思います。

フォロー数が増えた私の利用法

フォロー数が増えると、興味のない情報も多く見かけるようになります。
そうなると、自分が見たい内容に絞りたくなります。
例えば、近隣の情報、或いは、同じ番組を見ている方との情報の共有。
そんな時、ツイッターには、ハッシュタグという方法で絞り込むことができます。

ハッシュタグの功罪

フォローの有無に関係なく、同じ興味を抱く人の呟きがみられる。
逆に、ハッシュタグに関係ない呟きも見せられてしまう。

「RT」に寄る迷惑行為

ツイッターにはRTという情報を広げる手段があります。
これは悪く作用すると、チェーンとかスパム的なものになります。
本来は、自分をフォローしている方への情報共有手段なのに、ある種の運動行為として運用されてしまうのです。

これが、実にウザいのです。
モラルがない、それを食い止める方法がない行為というのは困ったものです。
その行為をされている側の方に、悪意はないのかもしれないのですが、受け取る側には、五月蠅いというものが多くあります。

ケース1、ペット探して依頼

「ペットが居なくなったので探して」という呟きをして、「それをできるだけ多くの人に広げて」と、依頼している呟きを頻繁に見かけます。
それに寄り、同じ内容のものを何日間も「RT」で見せられるのです。

読む側の気持ちとしては、最初は気の毒に思います。
しかし、毎日これを見ることになると、いい加減、もう諦めた方が良いのではと、思わされます。
もしかすると、もう見つかっているのにその呟きはされていなかったり、「RT」している人が、好意でその情報を知らずに広げてしまったりするケースもあると思うのです。
この手の呟きは、RTで同じハッシュタグに数分おきに出ていると、「オオカミ少年」効果が発生します。そうなると、もう呟いても効果がなくなると思うのです。
飼い主のパニックな気持ちは理解できますが、RTの運用には、もう少し公共性のある内容に限定すべきだと感じます。

公共性とは、震災時の救命行為とか、毒を持つペットが逃げたとかの内容だと思います。そして大切なのは、それらの収拾情報も責任をもって掲載することです。投げっぱなしは迷惑です。

ケース2、デモ運動の周知行為

ある局に対するデモ運動への参加要請やそれが報じられないことの周知行為としても「RT」が使われています。
気持ちは理解できます。
でも、段々とエスカレートしている様が逆に気持ち悪いのです。
まるで、勧誘活動や布教活動のように。

情報の中には、報じられないものがあるということは、十分に理解しています。判断は、自分自身で行うべきもので、見たいものは見るし、見たくないなら見ない。さらに、信じるか信じないかは自分次第で、見知らぬ相手に働きかけられるのは、大抵の人は、不快に感じるのではないでしょうか。

例えば、韓流アレルギーは、理解できます。
BSなんかでも、韓流や通販がかなりを占めています。
地上波でも、ほとんどの局で韓流ドラマが存在しています。
いったい、この国は、日本なの?!という気持ち、良く解ります。
でも、選ぶ権利は、視聴者にありますよね。

また、現在の政治家、特に与党の献金の可笑しさ(ある種の疑惑)は理解しています。それが嫌なら、そこに投票しないということで、それが自分の意思表示になりますよね。

知らずに応援している身近な人がいるとしたら、呟きでなく、その人だけに直接知らせばいいのです。

個人主張をしたいなら

個人的な見解をツイッターで強いるのは、迷惑行為だと思います。
見ている番組に関係ないことを見たくないから、ハッシュタグを使うので、そこに関係ない呟きを割り込む行為は、ツイッター暴力です。

せっかくツールは充実しているのですから、ちゃんと用途を考えて使い分けてもらいたいと思います。そういうことに使うのは、ツイッターでなくブログでしょ。

頻繁に見かける呟きは、マインドコントロールでもしているんじゃないのかと疑う気持ちが出てきます。それはRTをされる方の本意なのでしょうか。

利害あるものにはバイアスがある

私は最近地上波のワイドショーは見ないようにしています。
メディアにはみな利害が絡んでいます。

バラエティ番組の多くは番宣ツールと化しています。
民放の番組には必ずスポンサーが存在しているのですから、それのマイナスになる情報は流されません。そんなことは、みな常識ですよね。

つまり、バイアス(偏向)は必ず存在しているのです。
これは誰が得をする情報なのだろうかと考えながら見れば、相手の術中から逃れることができます。

NHKと言えども

受信料でやりくりしているはずのNHKでさえ、取り上げられない内容があるということをこの年齢になって初めて知りました。
国会中継で放映されたことでも、(NHKが判断するところの)不確かな情報は、ニュースとしては扱われないということのようです。
ある種の国益という名のバイアスなのかもしれません。

ただし、ETV特集などの原発などの特集は、政府寄りの見解でなく、比較的オープンに報じられているように感じます。
いずれにしても、見流すようなことはせず、考えてみるということが肝要なようです。

知りたい情報の囲い込み方法、リストとは

リストとは、フォローしている人のうち、自分が追っていきたいと思う方のみをリスト化し、タイムラインを閲覧する方法です。

具体的には、ニュースなど自分はフォローしているけれど、相手からのフォロー返しはないという類のメンバー、良く双方向でやり取りする人、モラルがある人(前述のようなことがないという方)などをリスト化すれば、不快な思いをする頻度が減らせるというものです。

ブロックとリムーブ

実際、不快なタイプの呟きをされる方の呟きを見ない方法には、二種類あります。

1、自分の方だけ非表示とする。
フォローを辞めるリムーブという方法があります。

2、一切のツイッターやり取りを辞める。
相手の自分に対するフォローを強制的にリムーブさせ、自分のコメントをその方を限定して見せないようにするブロックというものがあります。余りに強烈なので、自分が酷いことをしたという、罪悪感が残ります。

片思いの解消方法

フォローしていただき、それに返した後、フォローを外す方もたまにおられます。おそらく自分へのフォロー数を増やすことを目的とされている方の行為だと思います。私はそういう身勝手な方のフォロー外しをは、こまめにするようにしています。

チェック方法と解消方法をご紹介しておきます。

私は、二つの方法を知っています。

一つは、「ついっぷる」というBIGLOBEの関係のツイッターを見る方法の中にあるフレンズというところを使う方法です。

http://twipple.jp/

上記のアドレスで、ついっぷるが開きます。
そこの上段に、ホーム、アカウント検索、トレンド、フレンズ、フォト、イベントと並んでいる中のフレンズを開く方法です。

これを開くと、トップ、フォローされている、フォローしているというメニューがあります。

そこのフォローしているの中の「片思い」というところをあけると、そこにあるものは、全て自分からの一方的なフォローの方々になります。

逆にフォローされているの中にある「片思われ」というところには、先方からフォローされているけれど、訳あってこちらからのフォローをしていない方が確認できます。まあ、訳がなければ、単なるフォロー返し漏れということになりますけれど。

さて、片思いの方のフォローを外すのは、次の方法です。

1、アイコンの上にカーソルを持っていく。
2、「+一括アンフォローに追加」を押す。
3、「×一括アンフォロー」を押す。

これが一番簡単な方法ですね。

さて、もう一つは、英語のサイトです。

そちらもご紹介しておきます。

http://manageflitter.com/connect/reconnect

managefitterというサイトです。

connectしますと、UNFOLLOWリストが出ます。
これがつまり、ついっぷるの方でいうところの、片思いのメンバーです。

こちらのフォロー外しの方法も紹介しておきます。

1、expandというところのチェックボックスに「V」を入れる。
2、右側にある「unfollow _ Selected」を押す。
 ※ _ のところには、1で「V」した人数が入ります。

これであっけなくフォローを外すことができます。

モラルをもって楽しく使う

マスコミの節操のなさは今に始まったことじゃありません。
世の中のカオス状態(政治のこと、原発のこと、震災のこと、不況続きなこと)で、みんなが不満を抱いています。けれど、ツイッターを不満をこぼす「愚痴ツール」にしたら、せっかくの便利な情報共有道具が、見たくない、使いたくないツールになってしまいます。
哀しいこと、もったいないことです。
みんなで、ここにはこんな良いところがあるよとか、今、良いのやってるよとか、そんな情報ツールにするのがハッピーな運用方法だと思います。
私は撮影した写真をフォト蔵にアップしながら、ツイッターで公開する使い方もしています。写真は、ネコだったり、風景だったり、TPOを考えてアップしています。猫を見て心穏やかになってもらったり、風景を見て季節感を味わってもらったり。それに対して嬉しいコメントをいただくと、嬉しいものです。ツイッターは、そんなツールにしたいのです。

新ツールがよく解りません

さて、もう何か月も前にFacebookも始めました。
しかし、未だに使ってません。
いまいち用途が解りません。
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by sumomojam39 | 2011-09-19 05:44

今年も残り4か月

9月に入り、台風12号が各地に不安定な天気を齎しています。
完全に秋になりました。
9月の声を聴くと、カレンダーは、もう残り2枚、そして、次のカレンダーの発売開始の時期になります。私の場合、カレンダーと手帳を新調するのがこの時期の決まりになっています。
そんなわけで、ほぼ日手帳のサイトに確認に行くと、やはりすでに発売が開始されていました。私の場合、すでにカバーは3種類(革製、布製、プリントもの)所有しているので、中身だけを新調しています。

そして、出遅れると、あっという間になくなってしまうのが、お気に入りのカレンダーです。私は、六曜や二十四節季などが掲載された美しい景色のものが好きなので、山と渓谷社のカレンダーを好んで購入しています。値段は、1,500円以内で、他にネコや仏像などのものもあり、常に迷います。
私が購入するのは、自室と第二のプライベート空間になるトイレに飾るものです。トイレにカレンダーは不可欠です。できれば、脱衣室にも欲しいところですが、昨年から我慢しています。

季節が変わると、気持ちにも変化が表れます。
買い物をしたくなったり、旅行に出かけたくなったり、美味しいものを食べたくなったり、新たなことを始めたくなったりします。
昨年はポタリング以外何処にも出かけなかった私ですが、今年は、少し心境に変化が起きました。

母の病気が解った5年前、その母が亡くなった3年前、仕事を辞めた2年前、振り返ると、私が楽しい旅行をしたのは、もう5年以上も前のことだったのです。
私の家は、少し複雑な環境でした。
両親が不和だったのです。
母と私の日帰り旅行の同行者は、父ではなかったのです。

父は仕事人間でした。
というよりは、まじめな人だったのです。
そんな父を尊敬はしていましたが、やや古い考え方の父に反発することもしばしばありました。

母は、30年前に春日部に引っ越してから、手編みの仕事を生業として、家計を助けてきました。その前に住んでいた八潮市の頃は、パートで編み物の仕事をしていたのですが、その支店として自分で編み子さんをみつけ独立したのです。しかし、母を家に閉じ込めていたかった父との関係が思わしくなくなりました。

父には自分の考えを他人に押し付ける性質がありました。
子育ても終わり、19歳で結婚し20年目、母にも父の束縛から逃れたいという思いが芽生えていたようです。思えば、母がそのような思いに至ったのは、運転免許を取得し、世に出始めた頃、そして、それが新天地に移ることで助長されていったのです。

別に浮気とかをしたかったわけではなく、自分のそのような考えを理解してくれる人を求めていたのかも知れません。まだ幼少期の頃に父と死別し、継父と異父妹弟との間で育った母は、「父親」のような存在を求めていたようにも思います。

しかし、亭主である父は、自分以外と母との交友を許しませんでした。
そんな父への反発する思いがすれ違いとなり、余計二人の関係を悪くしていきました。当然、家の中、家族の中も、ギクシャクしていきました。
5年もすると、家庭に冷めた弟は母を名前で呼ぶようになり、父はそれまで以上に煙たい存在になっていきました。

私は、春日部に移転したのちの約一年後の高校を卒業後、父の勤務先の社長方に居候し、専門学校に通っていましたので、そんな家族の関係に気が付いたのは、もう関係修復が難しくなった2年後のことでした。
すでに、社会人になっていた私は、夜間専門学校に通っていたこともあり、それから10年間、徐々に心が壊れつつも、現実を払拭するかのように、仕事に邁進してきました。

そして、約10年後、もう何もかにも嫌になりました。
東村山の会社を辞め、その後、昼の専門学校に通い税理士試験にチャレンジするものの、年齢とともに衰える記憶力と、受験意欲をどうすることもできなくなっていきました。
おそらく、そんな私のことを母が付きあっていた人も察したのでしょう。
その人は、自宅に引きこもっていた私のことを、母と共に外に連れて行くようになりました。
ある時は、競馬場、パチンコ屋、そして、日光会津方面への日帰り旅行へと。

その人には、妻と娘が二人おりました。
年齢は、父よりも一つ下。飲食店を営んでいたそうで、そこで定期的にカラオケを指導されておりました。奥さまは、社交的な亭主と生徒たちの関係に嫉妬し、その人が趣味で飼っていたアクアリウムを台無しにしたり、釣竿を折ったり、家からの締出しなどを頻繁にされたようです。

そうしたことが繰り返され、気持ちはすでに離れ、家から出て行き、住む処さえなかったのです。中古車と健康センターとを生活拠点とし、日中は、母と生活のためのギャンブルで収入を得ていたのです。
競馬場に行くと、信じられなくくらいの掛け金で万馬券、パチンコでも二人は常勝でした。

二人は、私にそんな暮らし方を隠し立てもなく見せてくれました。
母には、自責の思いもあったようで、何もかにもが嫌になっていた私に心を取り戻させようと、必死でした。最初は母に妻子ある人との関係を思い直すように促していた私でしたが、徐々に母の寂しい思いを知ることになり、そんな母の思いを理解しようとしない父への反発心が、芽生えてきました。

私には、父と遊んだ記憶がほとんどありません。
父は、私が幼い頃、塗装の職人として、土日祭日も関係なく、働いておりました。父との記憶は、たまの休業日にデパートに出かけたこと、社宅住いだった頃の銭湯や外食に行ったことだけです。
父と私の関係には、常に母がいたのです。
ですから、母と父とが疎遠になると、私と父との関係は、皆無になってしまいました。父は、父親というよりも母の伴侶だったわけで、そんな関係から、私が仕事を辞め、ひきこもった際にも無関心な人でした。
母に私に対する不満や愚痴を言っても、私の思いを理解しようとは考えなかったようです。母は、私の『父親』になりきれないそんな父のことを軽蔑していました。悪循環でした。

私は母が交際していた人のことを母がそう呼んでいたように「先生」と呼んでいました。先生は、父と同様に口数は多くないタイプの人でしたが、私のことを不快にさせないように気遣いをしていました。そして、私の深層にあったわだかまりのようなものを徐々に氷解させていきました。母は、それまで家では見せたことがないくらいの姿を見せ、私を何度も驚かせました。

おそらく母は、「先生」と出会って生まれて初めて自我を開放されていったのだと感じました。三人での日帰り旅行は、実にスリリングでした。
父が帰宅する前にさもずっと家にいたように装ったり、外出の日は、まるで監禁場所から抜け出すような感じで出て行きました。

弟のことも誘ったのですが、弟には理解できなかったのかもしれません。
私はそうした二人のおかげで2年後の5月に社会復帰しました。
私の再就職に合わせるように、弟が家を出ていきました。
表向きの理由は、朝が苦手な弟は、通勤が楽な都内で自活するというものでしたが、おそらく父と家族との板挟みの関係に疲れ果て、家を出て行ったものと想像されました。

税理士試験挑戦をあきらめた私は、それまで以上に仕事に邁進していきました。会社の公開をするために、夜昼関係なく仕事してきたことで、半年後にはジャスダック公開に漕ぎ付かせることができました。

しかし、身体に相当無理が来ていたようで、その後、尋常性乾癬という病にかかってしまいました。公開から半年後、私は緊急入院を余儀なくされました。皮膚呼吸ができない状態まで、乾癬が悪化していたのです。
時は、平成12年(2000年)、私は36歳になっていました。
初めての病気による入院、思えば、この頃、会計制度が大きく変化し、キャッシュフロー会計など、自分が簿記を学習し始めた頃にはなかったものが続々と登場し始めていきました。公開会社に義務付けられる四半期開示、そして、それに伴う大きな心労もあったのかも知れません。

それから、5年経過すると、母に異変が起きました。
本人曰く、感情の起伏が激しかったり、平衡感覚に異常を感じ始めたのです。
MRI検査などをしましたが、一向に原因がわかりませんでした。
原因が分かったのは、2006年の春でした。
母は、特定疾患に指定されている病、「進行性格上性麻痺」という不治の病に侵されていました。

その事実が判明後、間もなく会社都合でそこを辞めることになった私は、新たな職場を探すのに、初めて職安以外の手段を選択しました。エージェントに伴われ、紹介された会社は、驚くことにまるで紹介時に内定されていたかのように、面談で即決されてしまいました。私がその会社のことを理解する前に会社は、緊急に経理の引継ぎ者を求めていたのです。

結局、母の介護を伴う私の環境を考えず、私の採用を即決した東証ナスダック2部上場の会社は、その年の春に社長が突然解任され、顧問していた監査法人もさじを投げ、開示報告の時期に6人の経理がその中心人物も含め、ほぼ全員が辞めていくという緊急事態にあったようです。

余りに無茶な会社のニーズと家族に介護を伴うという環境の変化もあり、そこは、翌月に退社、私の再就職は難航しました。約2か月後に新たな勤務地を捜しました。まるで、結婚詐欺にあって戸籍を汚すかのように、私の履歴書は汚されてしまいました。おかげで職務経歴書での記載が面倒になりました。

父と母の関係は、母の病気の進行と共に修復され、『先生』と父と私の弟と私とで、母の介護を分担していきました。信じられないようなことでしたが、それほど母の病は、家族に衝撃を与えたのです。

介護の甲斐なく、母は3年前の春に他界しました。
そうして『先生』と私の家族との関係は、終わっていきました。
先生に最後に再会したのは、母の三回忌。
皆それぞれの喪失感を抱きつつ、3年半の月日が過ぎていきました。

秋の空模様を見ながら、ふと生前の母のことを思い出し、つらつらと書き綴ってしまいました。秋はそんな季節です。
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by sumomojam39 | 2011-09-02 17:27

猫との距離感

最近、猫の写真アップしていないなって考えている人もいるかも知れませんね。
でもちゃんと写真も撮影しています。
梅雨やPCのことで外出できない日もありましたが、最近は景色の写真を撮影することが多くなっています。

理由は、やはりコンデジの性能が良いこと。そして、触れ合うことと撮影することは両立しにくいということです。
私は、猫に接するときに決めていることがあります。
 ◎餌付けしない。
 ◎食べている邪魔をしない。
 ◎猫の考えていることを想像する。

猫は気分の生き物です。
気乗りがすれば、餌付けをしなくっても近づいてきてくれますし、信用してくれれば、触らせてもくれます。慣れれば近寄ってきて撫でることを要求してくる子もいます。それ以上になると、名前を呼ぶとどこからともなく出てきてくれます。餌付けが必須条件ではないのです。猫は信頼関係が一番なのです。

そういう意味で、親密になりすぎると、要求事が多く、撮影しながらは難しくなります。信頼が薄いとパーソナルスペースが広くなり、撮影が難しくなるということもあり、そのさじ加減が難しいのです。

人への警戒心が解けない子も多くいます。
餌を日頃からあげている人にも懐かずに、でも餌は欲しいという子も数多くいます。警戒心が強い子は、トラウマがある例も多く、それは最初からあるものではありません。公園などの場合、幼い子が執拗に追いかけてくるので恐怖感を抱いてしまった例も多いようです。

そんな子たちへの接し方は、焦らずに、状態を低くし、ゆっくりと何回かに分けて距離を縮める。それだけです。猫も人を見ます。
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by sumomojam39 | 2011-06-20 14:39

購読していたのに

毎日、梅雨空のどんよりとした天気です。
修理のためノートパソコンを土曜日に送り出した後、ちょっとした喪失感があります。そんな中、これまでずっと購読し続けている日経パソコンを整理しながら、読み始めることにしました。

パソコン誌って、コンビニなどで衝動買いするとじっくり読むのに、定期購読しているものって、ビニールから開封したタイミングで読まないでいると、全く読みません。最近は、どうせ自分が所有するマシンは古いからという理由で、読まなくなっていました。それが、新機種を買ったから読まないとついていけないと感じたのです。

読み始めると、いろいろ参考になることが書かれております。
乗り換えのための知識だとか、メールソフトのこととか、メンテナンスに関することとか。せっかく購入しているものをずっと読んでいなかったことを今更後悔しています。

そして、所有している携帯電話の請求書がふと目に留まりました。
気が付くと、2年分割で払っていた本体代が、ようやく完済です。
SH-05Aという機種なのですが、購入した当時のニーズは、防水でGPSがついていることでした。最近は、携帯しなくなっています。ずっと、迷惑メールに困っていました。迷惑メールが頻繁に来ていたので、自室においていてもマナーモードにしていたのです。マナーモードにしていると、アラームも使えず、大切な着信も取り損なってしまいがちになります。迷惑メール対策がようやくでき、分割払いも終了したことで、月々の支払をもっと安くできないか診断してみる気になりました。

私はバリュープランなのですが、SSプランでパケホーダイダブルとしていました。しかし、通話することはほとんどなく、iモードもほとんど見ません。携帯でTwitterさえしなければ、パケットはせいぜい2万~3万という程度です。見積もりますと、シンプルバリューでパケホーダイシンプルというプランを薦められました。千円以上も安くなるようなので、そちらに移行することにしました。

このタイミングでも新機種には何の魅力も感じませんので、しばらく今の機種を所有し続けるつもりです。
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by sumomojam39 | 2011-06-14 10:19

買い物依存

マイブームという病は、意外に深刻なものです。
常にそのことを考えるようになり、ネット環境というものが、その症状をさらに進めてしまいます。
私の場合、一時は買い物依存症かと思われるような、CDの買い漁りをしていました。いわゆるレーベル買い、あらゆるバージョンを揃える、ついにはアナログ盤にまで収集癖が及んでおりました。

ジャンルも問わず、J−POP、フォーク、ニューミュージック、オムニバス、ベスト盤、演歌、懐メロ歌謡曲、洋楽、インストゥルメンタルなどまで手を広げていました。洋楽は、60年代、70年代、80年代などといったオムニバスものから、その中で気に入っているもののベスト盤、さらには全てのシングルに至るまで買い揃えておりました。しかも、日本で購入できるものに限らず、海外のサイトにまで及んでいたのです。

HMV、amazon、TOWER、CD NOW、これらは日本のサイトに限らず、海外のものまで活用していました。翻訳ソフトを駆使してメールもしました。今考えると、やはり病気だったと思います。

【HMVの購入実績】

最初のご注文日 : 1999年10月15日
最新のご注文日 : 2008年07月31日
現在までのご注文数 : 312
現在までのご注文商品数 : 1295
現在までのご注文総額 : ¥2,904,932

このように表示しても、漠然としてまして、信憑性がありませんね。
では、商品リストの一部を掲載してみましょう。アーティスト名のABC順の表示で掲載します。かなり、現実性が見えます。

1ページ目の記載内容

CD *guitar* Classical / Goran Sollscher Best 2001年11月23日 完了

CD *home Music* Classical / G線上のアリア 100% 2002年11月10日 完了

CD 1650 B Way / Junk 2000年12月10日 完了

CD A. Mia / Rootie 2003年11月10日 完了

CD Abba / Thank You For The Music アバ ボックス 1999年10月27日 完了

CD AKIMBO / ON TOP 1999年11月19日 キャンセル

CD Akimbo / On Top 2002年05月06日 完了

CD Alan Parsons / Love Songs 2008年02月11日 完了

CD Alan Parsons / Stereotomy (Rmt) 2008年02月11日 完了

CD Alan Parsons / Vulture Culture (Rmt) 2008年02月11日 完了

CD Alan Parsons / Eye In The Sky (Rmt) 2008年02月11日 完了

CD Alan Parsons / Turn Of A Friendly Card (Rmt) 2008年02月11日 完了

CD Alan Parsons / Pyramid (Rmt) 2008年02月11日 完了

CD Alan Parsons / I Robot (Rmt) 2008年02月11日 完了

CD Alan Parsons / Gaudi 2008年02月11日 完了

CD Alan Parsons / Eve 2008年02月11日 完了

DVD Alicia Keys / Unplugged 2005年10月26日 完了

CD Ana Caram / Blue Bossa 2002年01月14日 完了

CD Ana Caram / Postcards From Rio - Collection 1999年10月15日 完了

CD Anita Baker / Sweet Love - Very Best Of 2002年11月15日 完了

CD ANTICA / 恋愛小説 1999年12月26日 完了

CD Arabesque / Colezo! Twin 2008年02月11日 完了

CD Around The Way / Smooth Is The Way 2005年01月27日 完了

CD Avril Lavigne / Let Go 通常価格盤 2003年08月07日 完了

CD Maxi Baby M / 愛がとまらない- Turn It Into Love 2003年09月10日 完了

(中略)

52ページ目の記載内容

CD Maxi 堀込泰行(キリンジ) / ハナレグミ / 畠山美由紀 / 真冬物語 2004年01月24日 完了

CD 槙原敬之 / Explorer (Ltd) 2004年06月16日 完了

DVD 槙原敬之 / Noriyuki Makihara Videoclip Collection 1990-2001 2003年05月28日 完了

CD Maxi 槙原敬之 / 君の名前を呼んだ後に 2003年05月28日 完了

CD 門あさ美 / 門あさ美ベスト ( ヤマハ ポプコン アーティスト全曲集) 2004年10月18日 完了

CD 野猿 / 撤収 2003年02月17日 完了

CD 野口五郎 / ゴールデン ベスト 野口五郎 2004年12月17日 完了

CD 矢野真紀 / はるか-遙歌 2004年01月28日 完了

CD 薬師丸ひろ子 / 薬師丸ひろ子 2004年12月17日 完了

CD 柳家小さん / ききたい落語家ベストシリ-ズ 9 2005年06月06日 完了

CD 柳亭痴楽/三遊亭円歌 / ききたい落語家ベストシリ-ズ 10 2005年06月06日 完了

CD 葉加瀬太郎 / Violinism 2 2002年08月14日 完了

CD 立川志らく / 志らくのビン 1 2002年11月20日 完了

CD 立川志らく / 志らくのビン 2 2002年11月20日 完了

CD Maxi 鈴木亜美鈴木あみ / Fantastic Ltd 2005年12月21日 キャンセル

CD 鈴木亜美鈴木あみ / All Around The World 2006年02月04日 完了

CD 鈴木一平 / 水鏡~鈴木一平ベスト 2001年09月09日 完了

CD 鈴木雅之 / Shh... (Cccd) 2004年01月18日 完了

DVD 鈴木雅之 / Martini Ii - Best Of Visuals 2004年01月18日 完了

CD 鈴木雅之 / ミディアムスロー 2003年02月15日 完了

CD 鈴木雅之 / Martini Blend 2003年03月21日 完了

DVD 鈴木雅之 / プレミアムライブ So Long 2003年03月21日 完了

CD 鈴木康博 / 山本潤子 / 細坪基佳 / Song For Memories 2005年09月15日 完了

CD 鈴木康博 / 山本潤子 / 細坪基佳 / Song For Memories 2 2005年09月15日 完了

DVD 露崎春女(Lyrico) / Lyrico Live Essentials...plus 2003年07月04日 キャンセル

53ページ目の記載内容

CD 露崎春女(lyrico) / Voices Of Grace 2002年11月17日 完了

アニメも落語もDVDもありましたね。これでも2ページ目から51ページ目までは、掲載していないのです。しかも、HMVだけで、約10年間で、注文回数が、312回、購入アイテム数が、1295枚、合計購入金額が、290万4932円。他のサイトでもこれほどではないにしろ、購入しています。トータルだと約倍の600万円弱になっていたと思います。これは間違いなく病気です。

今になって冷静に考えると、私にとって、CD収集が趣味でした。気に入った物が発売されていない時にも、買いたいという欲求は継続され、最終的に気に入った物を買うのではなく、購入していることを満足していたのです。恐ろしいことですが、それは決して終わることのないものです。

その時の自分には、それ以外に、集中できることが無かったのです。高校生の頃から、ミュージックテープを買いはじめ、そのために小遣いを削ってきました。当時は、ステレオ機器を所有しておらず、もっぱら、車の中か、モノラルのラジカセだったのです。

その後、ステレオを購入し、やがて貸しレコード屋というものが出てきました。沢山借りました。LPのクリーナーにも拘りました。

やがて、CDが出始めました。今度は音質を重視するようになり、カセットにも拘り始めました。クロームや高価なメタルテープにまで手を伸ばしました。カセットの本数も千本近くあったと思います。

ウォークマンを3台くらい買い替えた頃、今度はMDが出始めました。最初は、MDというデジタルメディアに抵抗を示していましたが、カセットからMDへの移行はMD用のオーディオを購入してからあっという間でした。その後、CD自体を所有したいという気持ちになり、貸しレコード屋に行くのを辞めました。

当初は、洋盤など著作権の関係などで貸しレコード屋にないようなものを購入していたからでしたが、最終的には所有欲だったのだと思います。

私の場合、このような病と縁が切れたのは、ひとつは会社を辞めたこと、もうひとつは、違う趣味をもったことだと思います。
やはりストレスがあったのでしょう。

クロスバイクに乗るようになって、そういう欲求が沸かなくなりました。ネット通販をするのも自転車に装備するものやカメラ関係のものだけになっていました。地デジ化がなければ、おそらくテレビや録画機は購入しなかったでしょう。

以下に、約2年以上買い物がとまった私の経験から思うことを纏めてみました。

【買い物依存症からの離脱方法】

2割…「買い物依存症」の自覚
2割…原因の事象の解決
2割…本当に心から楽しいと思えることを見つける

ここまでで約6割、これらを自分で整理し処理したら、いよいよ実践の開始です。

一度買うという行為を意識的に止めて買い損なってみましょう。この手の人に一番高いハードルです。しかし、これが出来ると不思議なもので、揃えたい意識が強い人ほど、買い損なうという事象が、買いたい願望を消し去ってくれるのです。これが約2割になると思います。

そして最終的な離脱は、買い物をする時の吟味の仕方にあります。それを購入するときに、同じジャンルのものは、それが壊れない限り、3年間は買わないという意識です。これが実践できるようになれば、「買い物依存症」からの卒業になると思います。
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by sumomojam39 | 2011-05-27 03:27

お祭り行って来ました。

春日部の藤まつり、数えて第30回だったそうです。
目薬をさして、サングラスをして、お昼過ぎに行って来ました。
午後3時前まで約三時間ほど、会場で色々な催しを見てきました。

明日は、通院の予定なので、沢山の写真を含め、詳細を記事にする予定です。ちなみに目はだいぶ癒えて来たような感じがします。ただ、水ぶくれのような状態は、引き続き残っています。
病院に行くのは怖いけれど、覚悟を決めて行って来ます。

キャンディーズのスーちゃんのお通夜が催されたニュースを観ました。私にとって、キャンディーズは、女性アイドルグループのパイオニアでした。「見ごろ食べごろ笑いごろ」や「GO!GO!キャンディーズ(文化放送)」などを見たり聴いていた世代です。

日曜の昼にこの番組を聴いた後に、小川哲也さんと丹羽孝子さんの司会の「全日本歌謡選抜」を聴くのが、常でした。
スーちゃん、女優としてより、やっぱり、キャンディーズだな。
とても悲しいニュースでした。
慎んで田中好子さんのご冥福をお祈りいたします。
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by sumomojam39 | 2011-04-24 23:59

3年目

私のブログも3年目に突入しました。
毎回、つたない内容の記事をご購読いただきまして有難うございます。また、本人の気分でブログの傾向がころころと変わり申し訳ありません。

震災でテレビもラジオもみな寄付金をつのる話や節制を促進する話ばかりがされています。そんな中、上野動物園の営業再開と共にパンダのリーリーとシンシンの公開が始まりました。すぐ近くの上野公園の桜祭りは、自粛。5月の三社祭も自粛。8月の神宮の花火大会も自粛されるとの事。
そして、今日のトップニュースは、増税でした。
本当に気が滅入るニュースばかりです。

両親が岩手の出身ということもあり、私の親戚も岩手県、宮城県、福島県、茨城県に数多くいます。残念ながら、津波で落命した叔父もおりました。幸い、遺体は先月20日に発見され、23日には、連絡を受けた叔母やいとこによる身元の確認をすることも出来ました。

私は震災直後の地震に関する記事以来、出来るだけネガティブな記事は自粛してきました。テレビもつまらないので、それに関する記事も辞めてました。そして、人並みに私にできることを考えました。

出した答えが、出来るだけ、目で観て楽しんだり、癒されることを記事にしようとすることでした。実は、一時、楽天ブログ(「for a refreshing」)で試験的に写真ばかりを掲載する内容で記事を一週間やってみました。
その期間で、約3700以上のアクセスをいただき、反応は、お蔭さまで上々の出来でした。

したがって、そちらのブログを辞めて、そちらにアップしたものを全て、こちらの「生活~namakatsu」の方に記事にしました。
ちょうど2周年目の終わりだったこともあり、一日の限度である20を連日記事にしてきました。

ずっとネコの写真ばかり、過去のものをアップしています。
基本的にはノンジャンルなので、掲載回数には拘りはないのですが、今後も続けていきます。

少しでも、リフレッシュできる記事になったら幸いです。
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by sumomojam39 | 2011-04-01 09:43

安堵と落胆

3月も1週目が終わり、確定申告処理も無事に終了させ、本日、無事に提出してきました。
確定申告は、父と自分の分をしているのですが、どちらも基本的には事業所得の申告になります。

医療費は、毎度のことの10万円ギリギリ足らずで、医療費控除の適用はナシ。睡眠時無呼吸症候群の月次医療費が4,590円、これだけで年間、55,080円になります。さらに尋常性乾癬で3カ月に一度通院しているので、それに関する薬などが年間約4万円。
尋常性乾癬の方は、この花粉症の時期、アレルギーの影響で全身が疼くほど痒みを増し、発熱します。

親子二人の事業所得と書きましたが、父のは本格的な事業で、私は、本来はサラリーマンが本業ですので、現在、求職中の折には、父の事業の事務処理手伝いに伴う申告になります。父も自分も青色で申告をしているので、帳簿などもきちんと完備させています。

青色の帳簿を整備するのは、会計ソフトがあれば、そんなに難しい処理ではありません。私の場合は、弥生というソフトを使用しています。
弥生には、青色申告決算書も作成できますし、確定申告書第1表、第2表も作成することができます。それを最終的に清書する訳です。

残念なことに昨年は、完全に離職中な為、私自身の所得は、父の扶養親族になるレベルで、しかも、死別している妻の居る父は寡夫控除の適用を受けることも可能となりました。
さらに、私は青色損失の繰り越しの為の申告用紙、第4表を書くことになり、その用紙を税務署で調達し、その場で記入し、提出を済ませてきました。

申告手続き自体は、例年とは違い、早めに作業を始められたので、1週間も前に提出できました。本当にホッとします。
また、作業と同時にファイリングも済ませ、今年も例年以上、綺麗に整理できました。

申告書提出のその足で、父の取引している信金の通帳記入に行き、さらに父が先日買い物の際に忘れたポイントカードとレシートを持参し、生協にてポイントをつけて、特売のチキンの照り焼き用の胸肉やブラックペッパーホールの詰め替え用のパックを購入し、帰路につきました。

ふと気がつくとカバンのチャックを閉め忘れ、中のものが、かごからこぼれようとしているではありませんか。
やばいっと想い、確認しましたら、父の三文判はちゃんとあり、ひと安心しながら、そばに咲いていた沈丁花の写真を撮影し、家に帰宅しました。

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1103080002 posted by (C)sumomojam

家でカバンの中身を出しながら、再度確認すると、私自身のハンコが見当たりません。慌ててもと来た道を再度行きましたが、結局見つからず、やむなく、取引銀行に連絡を取り改印手続きをすることとしました。実に迂闊でした。

ちなみに改印の為には、連絡を入れ、ハンコでの通帳取引を停止させ、後日、身分証明書と新規に登録するハンコを持参するようです。その際に手数料はかからないということでした。

疲労感が倍増です。
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by sumomojam39 | 2011-03-08 18:17