バカとハサミは使いよう
今夜も「お願いランキング」のチョイ足しを楽しみにされていた方に、記事を書こうと考えていたのですが、今回は、それよりも興味深いテーマがあったので、そちらの話題を先行させようと思います。
それは、たびたび取り上げているラジオ番組「アクセス」です。
今回は、私も徐々にその閲覧時間が伸びつつある「ツイッター」に関するものでした。
昨夜のアクセスのテーマ
『利用者が急増しているインターネットサービス「ツイッター」。
一方で失言や、情報流出などのトラブルも。
政治家や企業などもツイッターを積極的に利用し始めていますが、
これって良いこと?』
というもので、詳細データには、ツイッターをめぐる様々なニュースやトラブルが紹介されていました。
そして、ネット上の情報流出や、様々なトラブルは今までもさんざん言われてきましたが、このツイッターや、携帯電話などのカメラを使って誰でも映像の生中継ができる「ユーストリーム」などの登場で、ネット上に今まで以上に「ライブ」に情報が躍る時代になってます。みなさんは、そういう社会をどう思いますか?
★ネット上に、様々な情報が“ダダ漏れ”になるのは、良くないこと?
★これからの時代、逆に“ダダ漏れこそ新たな可能性”と捉えないとダメ?
★仕事中なども手軽にできる「ツイッター」は、「公私混同」を生む?
★これからの私たちは、こうしたネットサービスと、どうお付き合いすれば良い?
ということが書かれていました。
実は、先日「博士の異常な鼎談」で取り上げられたのをきっかけに、私自身も、以前IDを取得していたのにもかかわらず、それきりに放置していたものを、使い始めました。
番組については、前後篇ものなので、次の放送後、ちゃんと整理して掲載しようと考えていますが、今回は前回の話題で私自身が肝(きも)と思うところを抜粋して書きます。
功罪は確かにあるのです。ただ、あくまでツイッターは道具(ツール)な訳で、円をかくのに便利なコンパスも、針があるから危ないと言えば、危ない訳です。ですが、それを正しく使えば、半径の異なる円をいく種類も書くことができる便利なものです。半径で円周を分けると6等分できるとか算数でも習いましたし、コンパスで試しましたよね。
百聞は一見にしかず。
百見は一考にしかず。
百考は一行にしかず。
一番、大切なことはやってみることだということです。
今回、良いことか悪いことかという選択だったのですが、残念ながら、悪いことという意見で、番組に登場された方は、やったことが無い人でした。
そして、ネットでは、番組を聴きながら、ツイッターで意見を書き込むページも用意されていました。
道具は、使い方だし、例えば守秘義務や秘匿事項の情報漏れが、使われるツールにもなることは使う人の問題です。隠したい情報の管理法の問題をツールの所為にしてはいけないということです。スパイウェアとかはそれを防衛するために、ネット接続を諦めるとか、セキュリティ対策をすれば良いのです。ツイッターが、ブログ、チャットと違うのは、字数制限やIDが紐つけられ、匿名性が無いことです。
問題発言をする可能性は、どの状況でもあり得ます。ツイッターは、発信者の特定がされるのが、特徴です。それを使う時、自分の意見を書くものとしては、使う時に細心の注意を図るようになりやすいということです。もちろん、そこまで考慮されずに発言をなされる方もおられます。それは、フォローというグループに入れてもらえない、自分の方はフォローできるんですが、相手にはしてもらえないということになります。
あとは半分冗談で、寝不足になります。
興味次第で、フォローが増えますので、読む情報が増えます。
ツイッターの特徴
・リアルタイム度が高い(チャットも高い、ブログ・ミクシィは低い)
・オープン度も高い(ブログも高い、チャット・ミクシィは低い)
・双方向性は、中間的な位置(チャットは高い、ブログは低い、ミクシィは中間)
・書ける文字数は少ない(チャットは少ない、ブログ・ミクシィは多い)
・コメントの匿名性が低い(ミクシィも低い、ブログは高い)
朝日新聞の記事のまとめでは上記のような区分になるそうです。
ツイッター利用者が他人に強要するワケ
・ツイッターをやらせたいんじゃない、ツイッターをインフラ化して欲しいだけだ
・ツイッターをやってる方が、電話があったりメールがあるのと同じくらい便利なんだ
・ツイッターをやってる方が特殊だと思われるのが面倒くさい
これが、水道橋博士が言われた結論です。
“保守派”の拒絶反応、携帯の黎明期と同じ?
・場所を特定されるのが煩わしい
・盗撮社会が来る
これらは携帯電話が広まる前に言われたことですが、今、それをいう人は見当たらなくなりました。そのひと個人が持つか持たないかは自由ですが、持たない代わりに対策を求められます。
最近感じ始めてきたのは、記事を書くのを義務と感じるのなら、ブログはプレッシャーなだけです。しかし、自分が楽しみたくて書くのは、自己満足です。でも、感受性は人それぞれですから、人のためと考えていても、その人の独りよがりということも往々にしてあります。そう感じたら、その方は読者をやめるでしょう。逆に、好きで書いているものを楽しめると感じて読む人もいます。
そして、それらの数が、ユニークという数で確認できるツールがブログだと思います。
ある意味では、人とのつながりをネットに求めるならば、ツイッターというツールは、結構、容易に取り入れることができるものです。人とコミュニケーションを取ることもできますし、ボットのみで、一切、人とのコミュニケーションを求めない使い方もできます。
顔も年齢も知らない人ですから、価値観が同じかどうかは不明ですが、呟きを読んで、会話してみたいと感じることは意外に起きるものです。現代は、情報にあふれた世界です。秘匿することや防衛することは、自分の責任である程度、考えなければなりません。そして、コミュニケーションツールとして存在しているこれらの道具の使い分けが、その人のセンスなのかも知れません。
リスクはあります、でもそれと引き換えにメリットも存在します。例えば、普通にしていたらまず話すことが無い相手の考えを読むことができること。そして、もう一歩踏み込むと場合によっては、140文字で会話もできるということです。そして、言えるのは、自分の考えを無理強いしてはいけないという脇前は必要です。
by sumomojam39 | 2010-02-18 03:00 | ラジオネタ