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昨夜のアクセスで

先日、重いテーマということで書いた、脳死を人の死とするかについて。

昨夜のテーマは・・・
『分子生物学者・福岡伸一さんと「人の死」について考えます。
衆議院を通過した臓器移植法の改正案では「脳死は人の死」と一律に定義。
「心臓死」ではなく「脳死」を人の死とすることに、あなたは賛成?反対?』

ちょうど一週間前に書いてた内容を投稿しました。
この時間で、賛成…116、反対…139、その他…129です。

賛成派の方の意見の一部では、反対派に対し、脳死で生かし続けることのエゴを書いている方もおられました。

反対派=脳死で生かし続けようという意見と考えるのは、賛成派のエゴですね。
反対派=自然死を考える人、ということです。

移植は、別に治療ではありません。
医学の進歩って考え方、恐ろしいです。
移植=犠牲だと思います。

犠牲は、失う人の意思で行われるべきです。
そして、失う人が死ぬ(どんな説を持っても統一して考えられる死)の場合、それは犠牲になりません。
自殺もしくは殺人です。

「天国への階段」というドラマでも、角膜移植をするために、義理の兄が、わざと事故死して、角膜移植の順番を超えて、角膜を譲りました。
まさしく、自殺です。

人工呼吸器をつけて生かされている人の命を奪っていいという考え方もエゴです。
死は、誰にとっても等分に酷く、耐えがたいものです。
周囲の人間の気持ちも大変悲しいものです。
死を宣告された時、それと同様に不治の病に冒された時、その死に対し、本人も家族も受け入れがたいものなのです。
そこに、入る犠牲は罪です。
前にも書きましたが、献血を含めた輸血、骨髄などは、それを失って命を落とすことがないなら、犠牲ではないと考えています。
それは善意です。

また、二つある臓器を家族が一つ譲るのも、死には至らないし家族間ならば、それは愛ですから、それを反対する権利は誰にもありません。

死を受け入れられないからと言って、死の判定を変えてその人の心臓の鼓動を止めるのは、誰にも権限がないこと。殺人です。

議論の内容が異なることを踏まえて敢えて考えました。
堕胎する気がある人の胎児を犠牲に移植するようなのは、どう考えるでしょうか。
人道的にも認められないと考えるでしょう。
でも、堕胎自体は、必要悪と考える人が多いはずです。
生まれてくる子供が、染色体異常の可能性が高い場合、堕胎するとか、あるいは望んで生まれて来させることができないのは、子供にとって不幸だから、堕胎するとか、生活力との関係だとか。

赤ちゃんポストに行くよりは、ましとか考える人もいるかも知れません。
でもそれはエゴだと思います。
望まないなら、避妊措置をすればいいのです。

では、精子や卵子のバンクを使って、人を作ったら。
これも絶対に人道的にダメですよね。

死の判定を変えても、移植を求める人たちは、どう考えるのでしょうか。
もしかしたら、このあたりの考え方も、身内の移植を求める場合、異なる考えになっているのではないでしょうか。

露骨に、人道的に反すると考えられることで、考えるときに初めて犠牲なんだって、考えられるのだと思います。

国会議員や医師に同じ質問を投げかけてみたい。
人の生や死をもっと真剣に考えることは、移植について考える際に、不可欠なことです。
考え方に偏りがあるうちは、法案を通してはいけないと思います。
タレントさんで話題になった血縁関係のない代理母の問題も親のエゴと考えています。

これらは、倫理の問題で、同一線上にあると思います。

by sumomojam39 | 2009-07-07 01:31 | ラジオネタ